青梅市立美術館「祝喜寿 高柳裕展」2017.11.18~2018.1.14

青梅ブログ用

続きを読む

「発音」これでいいの怪?

最近NHKテレビでも発音の「怪」が目立つ。
地方出身のアナウンサーが多くなったのかと皮肉りたくなるほど、耳を疑う発音が
多くなった。

英語のアクセントは特にひどい。
とある人に言ったら、あれは英語ではない。もはや現代日本語なのだと言われた。

私など、何とかの一つ憶えでアク’セサリーを’アクセサリーと言われると、思わず身構えてしまう。
というのは、昔アメリカ人の先生にとことん矯正された経験があるからである。

他にも変な発音の英語が飛び交っているが、これはもう諦めるしかない。
頭の中が、アクセントだけにアクセンクトー(悪戦苦闘)しているのである。


高柳








暗闇でデッサン

私はエンピツ等でアイディアスケッチをしたことがない。
それには理由がある。
デッサンは暗闇でするからである。

私のスケッチはカメラワーク。そして、すぐに暗室に入る。
選んだフィルムを現像ー35㎜ネガを作り、リスフィルム50㎝×50㎝に拡大、
そのフィルムに直接ロットリング等で描き込んだり、デザインナイフで削ったりする。
そして自分が望むフィルムを作る。

これが私のデッサンなのである。
昔、私は版画家である数時間前はいつも写真家だったのである。


高柳






ガラス絵Ⅱ

青梅市立美術館での個展が迫っている、と前にも書いたが
版画の他にガラス絵も展示する。
ZODIAC「星座シリーズ」である。

12宮天体図であるから、絵は12枚なくてはならない。
ところが、久々に見てみると一枚足りない。
<乙女座>が消えたのである。
誰かが買った(つまり売れた)のか、とも思ったが記憶にない。

美術館への搬入の期日が迫っているのだ。
乙女座の制作にとりかかった。
昔の技法を思い出しながらのガラス絵である。
そこからが苦難の連続であった。

続く


高柳







グラス イズ イズコ <老眼鏡はすぐ消える>

家中探し、ようやく発見したのは置いた場所。やっと見えるようになる。

この<置いた場所>を憶えられない。
だから家探しになる。
確かここだ、と思う所には大抵無いのである。
従って、自分一人の時は時間がかかってもまだ良いのであるが、
そばに誰かがいると大変なことになる。

<年>ゆえ7~8コの老眼鏡を持っているが、
特にお気に入りの眼鏡が消えたときは大騒ぎ(一人でも)!
大切な大切なグラスィズ イズコ(何処)?とばかり目がないのである。


高柳







青梅市立美術館 ~高柳裕展~によせて

青梅市立美術館で11月17日~来年1月14日まで開催される
~祝喜寿 高柳裕展~はrecollectionつまり回顧展である。

100点あまりの当時の私の作品が展示される。

現在の作品が展示されないのは残念であるが、青梅美術館の事情だから仕方がない。

「脂の乗りきった」という言葉があるが、若さ溢れる元気いっぱいの私の作品群を
振り返るのも楽しみである。

12月3日(日)はギャラリートークとして作品の前で話をしたり、私の作品の制作を実演
したり、音楽会があったりと忙しく、楽しみである。

遠路はるばる遠くからいらして下さった方々には、ギャラリートークで
「トークからいらしていただきありがとう!」と言うつもりである。


高柳







デッサンを探せ!

私はデッサンをしたことがない。
いや、若い頃やった石膏デッサン、人体デッサンのことではない。
版画家として世に出た頃の、版画の為のデッサンと称するものが一枚もないのである。

しかし絵(作品)が出来上がるのだから、なにか手立てはあったはずだと振り返ると、
紙の上にあらかじめ作り置いた写真版と、切り抜いた金属板をあれこれ動かして
位置と色を決めていくだけで、これがいわばデッサンなのである。

こんなことを言ってもお分かり頂けないとは思うが、まず写真ありき、それを必要に応じ
拡大縮小したフィルムを作る。
それに見合う、丸だの三角の金属板を組み合わせ、形を切り抜き、並べ終わるとデッサン終了なのだ。
だから気の利いたエンピツデッサンなど一枚もなかったのである。


高柳







私事(わたくしごと)

私の久々の大きな個展が、青梅市立美術館で開催されることが決まった。
個展と言っても、美術館が蔵館している100点あまりの作品である。
近作ではない。しかし、私にとっては全て昨日制作したような気がする。

美術館からは、もうすでに印刷した年間スケジュールのリーフレットというのか、
立派なお知らせが我が家に届いている。

青梅市は東京都である。あまり知られていない。
いや、知ってはいても、え?あー、そうだよ。などと答えが返ってくることがある。

ところで、リーフレットを見て驚いた。
私の個展案内の頭に「ー祝喜寿ー」がついていた。
自分の年もまともに憶えていない私は一目見てびっくり!
喜寿とは77才のことである。計算してみると、私は今76才である。
しかし2か月間の個展の最終日が77になる。
そういうわけか・・・としぶしぶ納得。

美術館の展示に、なにも年なんかと思ったが、せっかく美術館が考えたことだから
きっと「わけ」があるに違いない。
ちょっと喜寿(きず)ついた私の結論は、「人寄せ」である。

美術館が一番苦労しているのは、どうやって人を集めるか、来てもらえるかなのだ。
青梅の人々はとても老人にやさしいのだ。
77才で今もなお活躍している老人の現代版画家を見てみるのもいいかもしれない、と、
まぁこういうことなのであろう。

来たれ!青梅の人々!心やさしき青梅人!


高柳











ガラス絵


ガラスに絵を描くことである。
普通は油絵具で描くが、私は透明な下地を塗ってから水彩絵具を使用する。

注意点は、裏から描かないとダメなこと。
裏から描きながら表から見る。
手順が全て逆になるため、逆向きのサインから描き始める。
面倒ではある。手順を間違うと大変。

昔、小出楢重が人物のへそを描くのを忘れた、というエピソードは有名。
私などサインを忘れること度々。やり直しが効かないのである。
なんでこんな面倒なことをするかと言えば、良いところもある。

ガラス面と絵具が密着する為真空になる。
これが色が美しく見える秘密である。
ガラス絵はことのほか美しく見えるのである。

カンディンスキーのガラス絵は誠に素晴らしい。
是非本物を見たいと思っている。


高柳








目から鱗


最近北斎ブームである。
オランダの美術館で見つかった北斎の西洋画風の絵には、最初本当かと疑ったほどであった。

よく考えてみれば、北斎だってゴッホやセザンヌと同じように、未知の画風に憧れたって不思議ではない。
西洋の遠近法を学び取った後で描いたのが、波間の富士~富嶽三十六景神奈川沖浪裏~でうなずける。

「波」にこだわって多くの波を描いた北斎は、レオナルド・ダ・ヴィンチによく似たところがあると思った。
レオナルドは「波」を科学・物理的に追求し、北斎は「波」の性格に迫りながら、見事にデザイン化した。

レオナルドが深くどこまでも探求する姿を足し算(+)とするなら、北斎のそれは引き算(ー)だ。
余計なものをそぎ落とし、見事に本質だけをデザイン化した北斎は、超デザイナーともいえる。
北斎はますます凄い!


高柳