続・本当の色


だいぶ昔になるが、建設途中の我が家に、ある電機メーカーの社長が飛び込んできた。
彼は「トゥルーライト」の売り込みに来たのだ。
面白そうだと思った私はある雑誌の撮影に応じ、後日トゥルーライトが送られてきた。

このライトで照らすと野菜でも絵でも、自然の色に近く、美しく見えるという。
しばらく使ってみたが、たしかに新鮮に見える。

そこで思った。
かつてローソクの灯りだけで描いていたゴッホを思い出し、プレゼントしたい気がした。
そしてまたよみがえってきたシンディー・ローパーの「true color」の曲。
あなたらしいカラーを!


高柳








本当の色


絵を描く人が一番最初困るのは、風景や静物、人物にしてもモデルがある場合、絵具をどんな色にして描き進めるか・・であろう。

私が家族でパリに住んでいた時、娘(小1)は現地の小学校に通っていた。
お迎えに行った私の目の前に、授業が終わった小学一年生がワーワーと飛び出してきた。
それぞれの頭に自分の顔の面をつけて。

驚いたのは、黒人の子は青(インディゴ)、褐色の子は紫(パープル)、白人の子はピンク、そして日本の我が娘は肌色、という具合にそれそれのお国柄の色、固有色が塗られていたことである。

思いもかけない色に出会い、肌色が日本人の色と思い込んでいるのと同じに、他国の人はそれぞれの「肌色」を持っているのだと、いたく感心したことがある。

シンディー・ローパーの「true  color」という大人の恋歌がある。
これは「(あなた)(私)らしさ」という意味らしいが、小1の子どもたちも、自分らしく描いたのである。

to be continued


高柳






ものわすれ


天才は「忘れ」名人であると聞いたことがある。

古いことを忘れるから新しいことが入るらしい。

私の場合は新しいことが入らないで忘れるだけだから、チョット違う。

いやチョットではなくだいぶ違う。

思い出す能力も衰えている。でも気にしないで生活している。

一般人である。いや以下か。

ところが若い頃憶えたことは忘れない。

何とかの一つ憶えで、忘れない。忘れても良いのに忘れ去れない。

「忘却」出来ないのも大変である。


何でこんな文を書いたかわからない。それすらも忘れてしまった。



高柳







見ること part 2


眼科に行った。

緑内障と云われた。

もともと人生の視野が狭い私にはぴったりの「病」だ。つまり、視野が欠けるのである。

笑ってもいられない。

幸、セカンドオピニオンでことなきを得たが、話は「見える」ということである。

眼球の視力とは別で、人は見たいものを見ている。

逆に言えば、見たくないものは、見えていても見ない。

つまり、好きな人(モノ)を見る時、他の人(モノ)は眼中にないのだ。

古い話だが、遠山の金さんの桜吹雪は、強制的に”見ること”を印象付けた例であろう。


パスカルは言った。

夜空に輝く星座のものたちは、見たい人々だけが見られる楽しい世界である。



高柳










ガクゼンとした話


箱根登山鉄道、大平台駅のアジサイ畑。車中歓声が上がり、みんな身を乗り出して観ていた。

よく考えてみると、紫陽花の花びらは全てガクであることを思い出した。

こんなにたくさんの紫陽花を見て、美しさもさることながらガクゼンとした。


高柳







古い絵


私は版画家である。しかし昔は油絵を描いていたから、油絵画家でもある。

水彩画も描いていたから、水彩画家ともいえる。総合して美術家ということもある。


さて何の話かと言うと、最近古い絵を引っぱり出して手直しをすることが多い。

油絵も少し手を加えたが、水彩が多い。

一気に数点ずつ描く。直す。そのうち、気がつくと全く違う絵になってしまうことも

あるが、これがまた楽しい。

考えてみると、未完成品が多いということでもある。

何が面白いと言って

タイムスリップしながら、その時代、その時を思い出しながら手を入れる。

懐古的すぎるが、内緒にしておこう。


高柳









ブログ


ブログを勧められて、一年ほど経っただろうか・・

時々しか書かないものの、続けることは結構大変なことである。

小説家になろうと思った時もあったが、やっぱり大変だと思う。

エッセイストになろうと思ったが、やっぱり・・・だんだんと短い文になってしまう。

もともと短文を得意と自負していたが、最近その自信もしぼみ、もうこうなったら

短歌、いやもっと短く俳句かな。

そこで一句読んでみたら、それは川柳だと言われた。


高柳






花を描く


カルチャーセンターで油絵の講師をしていたころ、花をよく描かせていた。

手っ取り早いモチーフなのである。

受講生の方も、花を出されて文句を言う人はいない。

ところで、私は花が苦手である。

今まで何十年の間、「花」をまともに描いたことはほとんどない。

桜が美しいと思ったこともない。甚だ怪しい先生なのである。

日本画、洋画の大家も花のモチーフは多い。

花は美しいもの、と決めているがごとくに描いている。

ところがある日、ポール・クレーのレゾネ(全作品目録)を見ていてびっくりした。

たくさんの花が登場している。しかし「花」には見えない不思議な「花」ばかりである。

ほとんど図形化された花、図法の花、論理の花なのだ。

今まで花嫌いな私が見ていた花はいったい何だったのか・・・

以来、私は花の見方が一変した。今ではどんな花も不思議に魅力的に思えてくる。

昔の花はもうどこかに行ってしまった。一体どこへ行ってしまったのだろう・・・

ジョン・バエズの歌(「花はどこへ行った」)が聞こえてくるようだ。



高柳











かくし味芸術 ~「白に白」 その2~


久々のブログである。

友人に「お前の絵はよく見えない!」と言われた。ショックは無い。

この人は「もう一方の人」と思った。

「白に白」が見える人と、「白に白」は見えない人と、2種類の人がいる。

友人は見えないタイプであると思った。でも本当に視力が無いわけではない。

「もの」を見る時、コントラストの強いものを好むのである。

つまり、遠くからもハッキリ見えることが大事だと思っているタイプ。

「白に白」が見える人は、遠くからは見えないが、近くでよく見ると実に美しく

見えるタイプ。

「白に白」は料理で言うなら「かくし味」に似ている。

この「かくし味」が分かる人は意外に少ない。

むろん、メインがドーンと美味しく、さらにかくし味が効いているということが大事

ではあるのだが・・・

ー後日談ー

その後、惜しくも世を去った友人は、当時から片眼の視力がほとんどなく、

ものが見えづらかったようである・・・


高柳









「白に白」


「白に白」 文章で見れば、よく見えないことになってしまう。

ところが私には、これがことのほかよく見える。

とにかく美しいのだ。昔、版画のテクニックで多用した。

白い紙といっても、同じ白などひとつとしてない。

白い紙は紙質によって色が微妙に違う。

これを利用して深みのある(オフホワイト)紙の上に、

真っ白で線なり円なりを描くとけっこう目立つ。

私の得意技であった。


ある日、有名な友人のグラフィックデザイナーA氏が我が家に来た。

「お前の絵はよく見えない!」と彼は言った。 ーto be continuedー


高柳








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版画家高柳とエクレア

Author:版画家高柳とエクレア
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