デッサンを探せ!

私はデッサンをしたことがない。
いや、若い頃やった石膏デッサン、人体デッサンのことではない。
版画家として世に出た頃の、版画の為のデッサンと称するものが一枚もないのである。

しかし絵(作品)が出来上がるのだから、なにか手立てはあったはずだと振り返ると、
紙の上にあらかじめ作り置いた写真版と、切り抜いた金属板をあれこれ動かして
位置と色を決めていくだけで、これがいわばデッサンなのである。

こんなことを言ってもお分かり頂けないとは思うが、まず写真ありき、それを必要に応じ
拡大縮小したフィルムを作る。
それに見合う、丸だの三角の金属板を組み合わせ、形を切り抜き、並べ終わるとデッサン終了なのだ。
だから気の利いたエンピツデッサンなど一枚もなかったのである。


高柳







私事(わたくしごと)

私の久々の大きな個展が、青梅市立美術館で開催されることが決まった。
個展と言っても、美術館が蔵館している100点あまりの作品である。
近作ではない。しかし、私にとっては全て昨日制作したような気がする。

美術館からは、もうすでに印刷した年間スケジュールのリーフレットというのか、
立派なお知らせが我が家に届いている。

青梅市は東京都である。あまり知られていない。
いや、知ってはいても、え?あー、そうだよ。などと答えが返ってくることがある。

ところで、リーフレットを見て驚いた。
私の個展案内の頭に「ー祝喜寿ー」がついていた。
自分の年もまともに憶えていない私は一目見てびっくり!
喜寿とは77才のことである。計算してみると、私は今76才である。
しかし2か月間の個展の最終日が77になる。
そういうわけか・・・としぶしぶ納得。

美術館の展示に、なにも年なんかと思ったが、せっかく美術館が考えたことだから
きっと「わけ」があるに違いない。
ちょっと喜寿(きず)ついた私の結論は、「人寄せ」である。

美術館が一番苦労しているのは、どうやって人を集めるか、来てもらえるかなのだ。
青梅の人々はとても老人にやさしいのだ。
77才で今もなお活躍している老人の現代版画家を見てみるのもいいかもしれない、と、
まぁこういうことなのであろう。

来たれ!青梅の人々!心やさしき青梅人!


高柳











ガラス絵


ガラスに絵を描くことである。
普通は油絵具で描くが、私は透明な下地を塗ってから水彩絵具を使用する。

注意点は、裏から描かないとダメなこと。
裏から描きながら表から見る。
手順が全て逆になるため、逆向きのサインから描き始める。
面倒ではある。手順を間違うと大変。

昔、小出楢重が人物のへそを描くのを忘れた、というエピソードは有名。
私などサインを忘れること度々。やり直しが効かないのである。
なんでこんな面倒なことをするかと言えば、良いところもある。

ガラス面と絵具が密着する為真空になる。
これが色が美しく見える秘密である。
ガラス絵はことのほか美しく見えるのである。

カンディンスキーのガラス絵は誠に素晴らしい。
是非本物を見たいと思っている。


高柳








目から鱗


最近北斎ブームである。
オランダの美術館で見つかった北斎の西洋画風の絵には、最初本当かと疑ったほどであった。

よく考えてみれば、北斎だってゴッホやセザンヌと同じように、未知の画風に憧れたって不思議ではない。
西洋の遠近法を学び取った後で描いたのが、波間の富士~富嶽三十六景神奈川沖浪裏~でうなずける。

「波」にこだわって多くの波を描いた北斎は、レオナルド・ダ・ヴィンチによく似たところがあると思った。
レオナルドは「波」を科学・物理的に追求し、北斎は「波」の性格に迫りながら、見事にデザイン化した。

レオナルドが深くどこまでも探求する姿を足し算(+)とするなら、北斎のそれは引き算(ー)だ。
余計なものをそぎ落とし、見事に本質だけをデザイン化した北斎は、超デザイナーともいえる。
北斎はますます凄い!


高柳







困難 part2

最近何をやるにしても「困難-difficulty-」 このが言葉がつきまとう。

昔スムーズに出来たことがことごとく引っかかる。

具体的には、見る、聞く、喋る、考える、作る、動く、書く、みんな「困難」である。

最近流行のレベル方式にあてはめればレベル4ぐらい。

といってもレベル4がどのくらいかは分からない。

ブログの文章も日によっては困難。

今日は、こんなんでどうでしょう?


高柳







歩行困難

私の話である。

ウォーキングをやっている。一時間近く、ほぼ毎日。

しかし、うまく歩けなくなった。

揺れるのである。横揺れが時々起こる。

人に言うと「年のせい」にされるが、あきらめきれない。

揺れながら目的地まで辿り着くが、いまいちスッキリしない。


最近ある運動を始めたら姿勢が良くなり、少し揺れがおさまった。

姿勢正しく生きることは大切である。

別人になる日も近い。別人28号!


高柳






ツクツクオーシン

オーシン(セミ)が鳴いているので秋だなと思う。

天候は不順で、昔とは違う天気が続く。

昔はニィニィ(セミ)が鳴き、ジージー(油ゼミ)が鳴き、次にミンミン(セミ)が鳴き、

最後にオーシンと決まっていた。

ところが、最近は他のセミの鳴き声はほとんど聞かずじまい、いきなり、オーシンである。

こんなにも早く夏が終わってしまうなんて、つくづくおーしむ、ツクツクオーシン。


高柳







ブログ疲れ


ブログが疲れているわけではない。私が疲れているのだ。

石器時代の人のようにケータイ電話でさえ持ったことのない私が「ホームページ」というのを立ち上げて一年、そのついでに「ブログ」を書いたのが最初である。
何のために、なぜ書くのか深く考えもせず日記を書くように書いていたので、タネ切れ、ネタ切れ現象が起こっているのである。
それゆえブログならぬ付録のような文になってしまった。

ちなみにblogはweblogの縮約系、webはクモの巣状のもの、網状組織、放送網(network)のことであるらしい。
こんな複雑なことはクモの巣にかかった虫のように、もがけばもがくほど疲れるというものである。

もう一つ付録にwwwは<World Wide Web>だそうだ。
ここまで書いて、っと疲れが出た。


高柳









続・本当の色


だいぶ昔になるが、建設途中の我が家に、ある電機メーカーの社長が飛び込んできた。
彼は「トゥルーライト」の売り込みに来たのだ。
面白そうだと思った私はある雑誌の撮影に応じ、後日トゥルーライトが送られてきた。

このライトで照らすと野菜でも絵でも、自然の色に近く、美しく見えるという。
しばらく使ってみたが、たしかに新鮮に見える。

そこで思った。
かつてローソクの灯りだけで描いていたゴッホを思い出し、プレゼントしたい気がした。
そしてまたよみがえってきたシンディー・ローパーの「true color」の曲。
あなたらしいカラーを!


高柳








本当の色


絵を描く人が一番最初困るのは、風景や静物、人物にしてもモデルがある場合、絵具をどんな色にして描き進めるか・・であろう。

私が家族でパリに住んでいた時、娘(小1)は現地の小学校に通っていた。
お迎えに行った私の目の前に、授業が終わった小学一年生がワーワーと飛び出してきた。
それぞれの頭に自分の顔の面をつけて。

驚いたのは、黒人の子は青(インディゴ)、褐色の子は紫(パープル)、白人の子はピンク、そして日本の我が娘は肌色、という具合にそれそれのお国柄の色、固有色が塗られていたことである。

思いもかけない色に出会い、肌色が日本人の色と思い込んでいるのと同じに、他国の人はそれぞれの「肌色」を持っているのだと、いたく感心したことがある。

シンディー・ローパーの「true  color」という大人の恋歌がある。
これは「(あなた)(私)らしさ」という意味らしいが、小1の子どもたちも、自分らしく描いたのである。

to be continued


高柳






プロフィール

版画家高柳とエクレア

Author:版画家高柳とエクレア
高柳裕の制作日記と最新情報をお届けします。

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