almost(オールモスト)


最近、若い頃の描きかけの水彩画等を眺めみることが多いのだが、欠点がよく分かる。
絵というものは、大きな部分と細かい部分との組み合わせで出来ている。

だがそれは、細部の描き込みが足らないのである。
今風に言えば、ディテールに欠けているのだ。
早くに気が付けば良いのに、その頃は分からなかった。
ゆえに大体出来ているのに何か物足らない、という気持ちがつきまとい、途中で投げ出しているものが多い。

私の版画作品は今、「オールモストの天使」とか、オールモストがタイトルについているものが多い。
気を付けよう! またもうチョイ! にならないように。


高柳







買い物


頼まれて低温殺菌牛乳を買いに行った。
帰ってみると、無脂肪乳を買ってきてしまっていた。

最近このようなことが多くなった。
理解不足もさることながら、牛乳がこんなに複雑に分類されているとは思ってもみなかった。
太りすぎには無脂肪が良いが、さて脳にはどちらだろう。

今度こそは、と思った。カタナシである。
牛乳の銘柄はタカナシだった。


高柳







エンジェルとは何者?

若い人はともかく我々の世代には、ほとんどキャラメルのマークぐらいしか知識はない。
西洋画集などには、大抵エンジェルが飛んでいる。
裸の子どもに羽の生えたのがほとんどだが、天使という名に変えて、大人もいる。
天使は大人で、エンジェルは子供か?

そんなことはない。天使=エンジェルなのだ。
そうだ、大天使など、他にもいろいろいるらしい。

最近、ポール・クレーの画集を見ていたら、裸の天使だとか色っぽい天使だとか、
いろいろいた。こうなるとなんでも天使だ。
羽さえつければ誰でも天使ということか。

街中、目には見えないけれど天使がいっぱいいるような気がする。
菓子屋の天使、新聞売りの天使、街角の天使、運転する天使、八百屋の天使・・・
なんと天使らんまん(天真爛漫)なことか!


高柳







内転筋

雪が沢山降った日、満員電車のドアが開いて、後ろ向きのまま重いリュックと共に
ホームに押し出され、不覚にも尻もちをついてしまった。

押した相手に向かってドナッてみたものの、一人の力ではなく数人の大きな力が
働いていたのが原因であることは分かっている。
だが、何とも自分自身の不覚を恥じた所以であったのだろう。

簡単に言えば年を取り、俊敏さに欠けていたのである。
内転筋が弱っていたのだ。
筋肉が泣いているのだ。
そうか、泣いている筋肉、泣いてん筋か。


高柳






足を洗う


私の左足の、親指を除いて残り4本が皆曲がったまま、固まってしまっていた。
何年もかかって固まったと見られる。
では、今まで私は何をしていたのだろう。

ある日突然固まった足を発見したのだ。
あれ?これは何だ?
慌てて引っ張ってみたが時すでに遅し、引っ張ろうと叩こうとびくともしない。
完全に足が変形してしまっていた。
そういえば今まで自分の足を気にしていなかった。
風呂でよく洗っていれば気がついたものを・・・と悔やんでみたが・・・

反対側の右足親指が強烈な外反母趾なのでいつも右足に気を取られ、不覚だった。
ずぼらな性格から「足を洗え!」ということなのかもしれない。


高柳







瞳に輝く銀の☆


コーヒー店に朝入って注文しようと思ったら、コーヒーの名前が出てこない。

カフェオレではなく何だっけ?となる。イタリアの名前がついているようだ!

女店員がすかさず、カプチーノでしょう!

正解!ニッコリ笑った瞳にキラリと星が光った。

と思ったら、背中の看板が反射したものだった。

店はスターバックスであった。


高柳






抱き枕

我が家に突然、抱き枕が送られてきた。
抱き枕だから等身大に近いわけで、思わずワーッと声が出てしまった。
色は薄いベージュ、ハンスアルプの抽象作品を布で作ったような曲線、いかにも抱きやすそうである。

これは私の敬愛する二人の教え子からのプレゼント。
妻に笑われながら、リハーサルで絨毯の上で寝転んで試してみた。
抱きかかえてみるとなかなか良く出来ていて、カーブや柔らかさが快適である。

ここで私の病名をカミングアウトする。
無呼吸性なんとか、と言う。つまり睡眠障害なのだ。
以前はマスクをつけて空気を送る機器をつけていたが、自分に合わないのでキャンセルした。
代わりに抱き枕が良いと聞き、会う人ごとに話していた結果なのだ。

その晩は、あれこれ試しながらも良く眠れたような気がする。
二人には感謝。
涙、涙で、うれしい泣き枕。


高柳






ブログを書くときは・・

ブログを毎週のように書いているのだが、自分でうまく書けたと思うことは
たまにはあるが、ほとんどが未完成、文章としてどうかと思うことが多い。

人に聞くと、ブログだからいいんじゃないかと答えが返ってくる。
しかしブログでも、文学者も見るかもしれないし、言語学者だって・・・
そう考えると、しまった、と思う。が、時すでに遅し、後の祭りだ。

そこで気を引き締め、格調高く正しい文章で書こうと意を決したのだ。

決めたからには文体を選び、「何を言うか」を考え、文脈に注意し、リズムを大切に、
起承転結を振り返り、さらにユーモアを交え、落としどころを決め、
でも全体として爽やかさを失わず・・
おっと!知的レベルをやや高めに保ちながら書こう。
と思ったが、くたびれた。


高柳








先生力

先生はえらい!なんでも知っている。
特に専門的な知識はまことに豊富である。
分からないことは、質問してもちゃんと答えてくれる。
だから先生はすごい。

と、これは立派な先生の話。そして学問的な先生の話。
最近では先生はいっぱいいる。どこもかしこも先生である。
先生ではない人まで時に先生と呼ばれたりする。
だから区別が必要である。
学校の先生、絵の先生、体育の先生、音楽の先生、医者の先生、料理の先生・・・
きりがない。

でも先生だって悩みはあるに違いない。
先生だって先生が欲しいに決まっている。でもそれはあまり言えない。
格が下がってしまうと思ったりする。人に与える力が劣って見える。
つまり「先生力」の低下である。
低下は困るので、どこかで踏みとどまらなくてはならない。
だから胸を張る、顎を引く、そこで見かけは保てる。
気を取り直し、勉強しなければ、と思ったりするに違いない。気弱になるに違いない。
先生も可哀想に思えてくる。

あぁ、先生力はどこへ行く。


高柳







ギャラリートーク

美術館では「ギャラリートーク」をよくやる。
作家が自作の前で喋るのである。

絵の前で絵の説明をしても、と思うが、ギャラリー(観客)は作家と作品をセットで
見たいのかもしれない。

作家は、「この絵はこういう気持ちで描いた」とか「こういう苦労をした」とか
喋るわけだが、それだけでは物足りないので、少しサービスをする。
この時、ユーモアが大切である。
「こんなえらい先生が、こんな冗談を仰って!」とか「なんと身近に感じられる先生
ですこと!」と思わせる。これが狙いである。

しかし冗談ばかりだとお笑い芸人と変わらないので、切り替えて哲学的に
引き込まなくてはいけない。
「なるほど」と感じさせなくてはならない。
質問には分かりやすく、丁寧に、笑いをかぶせながらうまく答える。

というわけで、ギャラリートークはなかなか大変なのである。
この後、作家は疲労と自責の念に囚われ、画廊トークは疲労トークに変わる。


高柳







プロフィール

版画家高柳とエクレア

Author:版画家高柳とエクレア
高柳裕の制作日記と最新情報をお届けします。

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