絶滅危惧種 Endengered


昆虫や動物によく使われる言葉である。

昔の外国映画、たしか「チャタレー夫人」 だったと思うが、男女が野原で

休息している場面、二人の目の前をサッと飛び去った蝶を男性が

「Endengerd ・・・」  とポツリと言ったのが印象的だった。

この一言、今日の地球に当てはめてみるとなんとも恐ろしい。

地球温暖化。パブリックハザードと呼ばれる水や空気の汚染。

今に始まった事ではないが、もう終局を迎えている気がする。

今 「Endengerd」の言葉は人類にも、いや人類にこそ必要なのではと思う。


が、悲観に暮れてばかりもいられない。

映画に戻るが、そこでチャタレー夫人は輝くような笑顔で男性を見つめていた。

「世界の幸せは、今、ここにしかないの!」 と言った眼であった。    -FIN-



高柳








「ダジャレ」について


「ダジャレと言えばタカヤナギ」 と、あるところで知られている。

チョット言わせてもらうと、「ダジャレ」 が今は一般化しているが、ダジャレ

と言うのは「駄洒落(だじゃれ)」 のことで、「洒落(しゃれ)」 つまり気の利いた、

粋なことがダメのことを言うので、「下手な洒落」 という意味である。

それが今日では、気の利いた洒落を言ってもダジャレの仲間にされてしまう。

困ったことである。


「ホー、洒落てますね」 とか、「あなた、それは駄洒落ですよ」

とか区別をしてほしいわけである。



高柳









続 蝶々の数え方


「蝶」は一頭(トウ)と数えると前回書いた。

ついに、これが正解! と分かったのは 「インターネット」というもので、

知人が調べてくれた。あっという間であった。

数十年悩み続け、疑問に思っていたこと。どう調べればよいかも分からず、

人に聞いても「へー、そうですかあー?」という具合だった「蝶」の数え方。

こんなにもお速く分かってしまって、喜びと気抜けが一気にやってきて、

「ケイタイ」 も持ったことのない私は 「頭」 を抱えた一幕。



高柳







蝶々の数え方


普通、蝶は一匹二匹と数える。

中学生の頃昆虫(採集)少年だった私は、すっかり昆虫に詳しくなっていた。

中でも蝶の採集に熱心だったから、今日は八ヶ岳、明日は雲取山と駆け巡った

ものだった。そして、山路の途中で他のグループとすれ違う時の挨拶は必ず

「今日何頭採れました?アサギ(蝶の名)ですか?」という具合であった。

当初違和感があったものの、慣れてくると専門家の挨拶と思い、馴染んでしまった。

以降、私は自分の文章の中でも蝶を数える時は必ず「頭(トウ)」を使い続けてきた。


改めて考えると不思議である。

最近になり、ふと、もし違っていたら? ・・・ と心寒くなった。


昆虫学者に聞いてみた。昆虫の分類では学問的には「頭(トウ)」であるとのこと。

やっぱよかったんだ! とホッとした。

しかし、心の底から納得したわけではない。 またさらに確かめなくては・・・

まだ心寒さは続いている。             To be continued.



高柳









ピカソになりきった男 ギィ・リブ


「ギィ・リブ」の伝記というか、カミング・アウトしたような本を読んだ。

「ギィ・リブ」はフランス人、画家で世界一(?)の天才贋作名人。

ピカソ・マチス・ミロ・ダリ・・・ありとあらゆる有名画家の絵をまねて数万点が

世界中に出回っていて、ついにフランス警察に逮捕されるまでを実名入りで赤裸々に

綴っている。

なぜこの本に興味を抱いたかというと、私が今版画家として熱を入れているのが

「My Faivorite Artists」シリーズだからである。ピカソ・マチス・ミロ・ダリ・・・

は私の作品に頻繁に顔を出す。


ここで考えさせられるのは、「オリジナリティー」とは一体何なのか?である。

私の芸大の先輩の何人かも贋作作家のレッテルをはられたのは、ニュースで

目新しい事件であった。

話を戻すが、ギィ・リブの手法は単なる模倣ではない。つまり、ピカソの絵を見ながら

そっくり描いて、ピカソのサインを入れ、人を騙して売りさばくのではないのである。

ピカソ・マチス・・・も描いたことのないピカソ・マチス・・・を描いてしまう。

ピカソが生きていたら、「私はこんな絵をいつ描いたのだろう?」と何の疑いもなく

本人もだませるほど「うまい」のである。


オマージュ、という言葉がある。

尊敬してピカソを描き、オマージュピカソとサインすればよいのである。その場合は

当然ギィ・リブのサインが入る。

ところが彼はピカソとサインする。しかもサインもピカソ以上にそっくり。

これは紛れもなくダメである。

だから偽札のように世界中に広がる。偽札はいずれ足がつくし、本物との違いが

科学的に明らかになるが、ギィ・リブ作のピカソは一流の鑑定士まで巻き込んで

いるから始末が悪い。


私の話に戻るが

私の作品は、ピカソ、マチス・・・の「考え方」をモチーフにしている。

作品はピカソやマチスに見えなくてはならない。が、作者は「私」でなくてはならない。

絵はピカソやマチスを感じさせ、本人のものかな?と思わせなくてはならず、時には

サインまで絵の中に登場する。

しかし!ここが大切なのだが、出来上がったものはあくまでも「高柳版画」でなくては

ならないのである。


ここまで書いてますます混迷するのは、「オリジナリティー」という言葉である。

きりがないのだ。




高柳








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版画家高柳とエクレア

Author:版画家高柳とエクレア
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