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ブログ疲れ


ブログが疲れているわけではない。私が疲れているのだ。

石器時代の人のようにケータイ電話でさえ持ったことのない私が「ホームページ」というのを立ち上げて一年、そのついでに「ブログ」を書いたのが最初である。
何のために、なぜ書くのか深く考えもせず日記を書くように書いていたので、タネ切れ、ネタ切れ現象が起こっているのである。
それゆえブログならぬ付録のような文になってしまった。

ちなみにblogはweblogの縮約系、webはクモの巣状のもの、網状組織、放送網(network)のことであるらしい。
こんな複雑なことはクモの巣にかかった虫のように、もがけばもがくほど疲れるというものである。

もう一つ付録にwwwは<World Wide Web>だそうだ。
ここまで書いて、っと疲れが出た。


高柳









続・本当の色


だいぶ昔になるが、建設途中の我が家に、ある電機メーカーの社長が飛び込んできた。
彼は「トゥルーライト」の売り込みに来たのだ。
面白そうだと思った私はある雑誌の撮影に応じ、後日トゥルーライトが送られてきた。

このライトで照らすと野菜でも絵でも、自然の色に近く、美しく見えるという。
しばらく使ってみたが、たしかに新鮮に見える。

そこで思った。
かつてローソクの灯りだけで描いていたゴッホを思い出し、プレゼントしたい気がした。
そしてまたよみがえってきたシンディー・ローパーの「true color」の曲。
あなたらしいカラーを!


高柳








本当の色


絵を描く人が一番最初困るのは、風景や静物、人物にしてもモデルがある場合、絵具をどんな色にして描き進めるか・・であろう。

私が家族でパリに住んでいた時、娘(小1)は現地の小学校に通っていた。
お迎えに行った私の目の前に、授業が終わった小学一年生がワーワーと飛び出してきた。
それぞれの頭に自分の顔の面をつけて。

驚いたのは、黒人の子は青(インディゴ)、褐色の子は紫(パープル)、白人の子はピンク、そして日本の我が娘は肌色、という具合にそれそれのお国柄の色、固有色が塗られていたことである。

思いもかけない色に出会い、肌色が日本人の色と思い込んでいるのと同じに、他国の人はそれぞれの「肌色」を持っているのだと、いたく感心したことがある。

シンディー・ローパーの「true  color」という大人の恋歌がある。
これは「(あなた)(私)らしさ」という意味らしいが、小1の子どもたちも、自分らしく描いたのである。

to be continued


高柳






ものわすれ


天才は「忘れ」名人であると聞いたことがある。

古いことを忘れるから新しいことが入るらしい。

私の場合は新しいことが入らないで忘れるだけだから、チョット違う。

いやチョットではなくだいぶ違う。

思い出す能力も衰えている。でも気にしないで生活している。

一般人である。いや以下か。

ところが若い頃憶えたことは忘れない。

何とかの一つ憶えで、忘れない。忘れても良いのに忘れ去れない。

「忘却」出来ないのも大変である。


何でこんな文を書いたかわからない。それすらも忘れてしまった。



高柳







見ること part 2


眼科に行った。

緑内障と云われた。

もともと人生の視野が狭い私にはぴったりの「病」だ。つまり、視野が欠けるのである。

笑ってもいられない。

幸、セカンドオピニオンでことなきを得たが、話は「見える」ということである。

眼球の視力とは別で、人は見たいものを見ている。

逆に言えば、見たくないものは、見えていても見ない。

つまり、好きな人(モノ)を見る時、他の人(モノ)は眼中にないのだ。

古い話だが、遠山の金さんの桜吹雪は、強制的に”見ること”を印象付けた例であろう。


パスカルは言った。

夜空に輝く星座のものたちは、見たい人々だけが見られる楽しい世界である。



高柳










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版画家高柳とエクレア

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