現代の鏡の国
最近知人がどんどん亡くなる。他人事ではないのだが、そうはいっても人は
地球上で何秒かに一人、いや毎秒のように亡くなっているらしいし、その人が
みな知人ではないだけである。
そんな事を書くと薄情なようで申し訳ないのだが、地球上の生物は皆、同じ事の
繰り返しである。
人は目の前の「少しの変化」を見逃すくせがある・・・というより見えない。
時間がたつと、おや?と思うように出来ているようである。
では何故人は生きようと、いや生き続けられるのか?
ーその謎の答えは鏡である。
鏡を見れば、写っている「自分」が確認できる。顔のシワ、白髪、目のたるみ、
これらはみな鏡の中の自分と判断する。
しかし一たん鏡を離れると、人は他人の眼差しや言葉を通してでしか自分を
判断出来ないのである。
つまり、自分の死に近づく姿などどこ吹く風で、飲んだり、食ったり、笑ったり
活動できる。言いかえれば、自分を見失っているのだ。
時間がたっぷりあるものだから、反省するのは鏡に写った偽の自分からだけである。
人は生まれてから死ぬまで、永久に本当の自分の姿を見ることは出来ないように
うまく造られているのである。
特に私なぞ、すっかり忘れて生きているようで申し訳ない。
最後にもう一度言えば、人は本物の自分を見ることが決してない。
だから生きていかれるのである。
ーと云いながら、暮れなずむ鏡の中に自分らしき姿を見た。
ああ、鏡よ鏡!
高柳