かげ
絵を描いていると、「かげ」の大切さに気付くものである。
「かげ」を描くことにより、より立体的に見えたりするわけであるから
その見極めは重要であるのは言うまでもない。
ところで、少し勉強していると「かげ」には2種類あることに気が付く。
「陰」と「影」である。英語で言えば「shade」と「shadow」。
この差について、電子辞書では「微妙な差異」などどいっているがチョット違う。
「この絵は陰影に乏しい」とはよく聞く言葉だが、この場合は
はっきりしない、とかメリハリがない時に使う言葉である。
私が言うのは、そういうあいまいな意味ではない。
”影踏み”という遊びを思い出してもらいたい。
あの影はいくら踏まれても痛くない「かげ(shadow)」で、実体がない。
ところが”ランプシェイド”とか”山陰”などの「かげ(shade)」の方は実体があるし、
たまたま光と反対側にあったり、覆ったりしているだけで、触れば実体に触れている
わけである。従って「陰影に乏しい」というと、「陰も影もほとんど描いていない絵」
ということになる。
ぼんやりしている、というよりはデザイン的に明るい絵か、丸みや遠近感がない、
足りない絵、ということになりはしないか?と理屈をこねてみた。
「かげ」という言葉は奥が深く、谷崎文学にも「陰翳礼賛」などがあり、いろいろ
考えさせられる。
おかげさまで。
高柳