昔の気持ち
私は今は版画家である。版画の特性は、手直しが出来ないことである。
「結果」を綿密に計算し、刷り上がったら終わり。一発勝負なのである。
しかし数十年こればかりやっていると、時々昔の「くせ」が甦ってくる。
その「くせ」というのが「手直し」だ。
版画は別にして油絵や水彩、ガッシュは、ある程度自由に手直し出来る。
それも、あらんことに学生時代に描いたものまでひっぱり出し、50年以上前の
気持ちになり、なりきり(これがまた難しいのだが)こっそり手を入れてしまうのである。
今日までおびただしい数の未生成作品をながめ、これではいけない、こんなものが
後世に残ってはいけない、恥ずかしい、等の気持ちで(いやこれは言い訳であるが)
ながめていると「悪魔のささやき」につられ衝動的に手を入れてしまう。
もちろん手を入れる時は注意深く、この絵は19〇〇年だからこんな考えで、
こんな状況だったからこのくらいでいいだろう。などと自分で判断して手入れをする。
手入れがうまくいった時は、多少の罪悪感と共にほっとする。
しかし、いつもいつも上手くいくとはかぎらない。
ときに描けども直せどもどんどん絵は変わり、本絵の痕跡さえも消滅してしまう。
かくして一点、また一点と昔の絵がなくなる。
こうなると、古い昔の絵に新しく違う絵を描いたことと同じになる。
そこで反省する。だったら「昔の気持ち」になる必要などさらさらないではないか!
「手直し自由」にはこんな恐ろしい罠が潜んでいた。
もう二度と手入れはしないぞ!かたく自分に誓った。
そのとたん、また悪魔がささやいた気がした。
高柳