私の版画技法 その11

世の中に急激な変化が訪れた。

コンピューター時代が来た。

活版が世の中から無くなった。

製版会社は次々に無くなっていった。

当然作品が作れなくなり、作風を変えざるをえなくなった。

思いついたのはシルクスクリーン技法で、この時からシルクの虜になった。

毎日シルク三昧であった。

つづく


高柳







私の版画技法 その10

版画制作意図は年を重ねるごとに変化しだした。

ニュースソースを利用していることに変わりはないものの、画面の造形に

大きな変化が出てきた。

抽象的図形的な形が画面を大きく支配するようになるとともに、

英文文字は整理され適所に登場させられるようになった。

自分で写真を撮り製版し、活版にして思うような画面を作り出せるようになった。

つまり『自由を得た』のであった。

つづく


高柳








日動画廊「版画の地層」

日動 版画の地層②

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私の版画技法 その9

このように新聞活版から生まれたニュースやコマーシャルは

絵画的・造形的に変化し続けるわけである。

が、新聞の文字やコマーシャルはある形を持っている。

当然のことながら新聞紙の大きさが基準である。

多少の大小はあるにしても、大きさが一定なのである。

つづく


高柳







私の版画技法 その8

このように、金属の文字写真群は本来の役割を終え新しく変身する。

カラフルに色彩が施され、無関係の関係を保ちながら別の世界が構築される。

そう、デぺイズマンである。

続く


高柳







私の版画技法 その7


紙のコラージュならいとも簡単に出来ることが、金属では思うようにいかない。

のこぎりの刃はすぐにだめになるし、疲労の積み重ねであった。

しかし「若さ」はおそろしいエネルギーを生み、カラフルな色がつけられた

コマーシャルの版郡は、なんとか版画に生まれ変わっていった。

場違いな英文の文字郡は詩的に発言し、その日のニュースは画面の中で

ユーモラスであったりしたのである。

続く


高柳






私の版画技法 その6


私がそれらを自分の版画に取り入れようと思ったのは、いや、それらを使って版画を

作ろうと考えたのは、色付き新聞などまだ無い時代だったからだ。

そうだ「読む版画」を作ろう。しかも現代、最も新しい広告を使って。

しかしカラフル広告といえども、そのままの使用は許されない。版権というものがある。

そこで奥の手、コラージュ技法の考え方が登場。

イメージのアッサンブラージュ、多くのシュールレアリストの考え方。

しかし相手は金属、自由自在というわけにはいかない。

そこで金属のこぎり、金づち、など工具が活躍する。

続く


高柳


私の版画技法 その5


今の人は分からないと思うが、昔の新聞は広告がページの下1/3を占めていた。

広告だから、なんでもあった。

時計、食べ物、ホテル、ファッション、動物、スポーツ・・・

それがみんな金属(ジンク)で出来ている。

写真活版というものであった。

続く


高柳






私の版画技法 その4


「芸術について」を学生の叔父さんに力説。黒インクまみれの金属凸版を入手。

大きなボストンバッグにこれでもかと金属凸版を詰め込み、あまりの重さに引きずりながらタクシーで

田町から旗の台の我が家に持ち込んだ。

黒インクを洗い流し、その日の新聞広告をながめ、英文の意味が分かるところは読みながら、楽しい一

時を過ごした。

続く


高柳






ギャラリートーク(文化庁新進芸術家海外研修制度50周年記念展)

Gトーク②

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